そんなわけでトラウマ満載のオンライン童実野町にお邪魔してきました。
あと初めて話しかけたとき開口一番「なんだテメー!」って言われて戦いた。どうして童実野町住民は総じてけんか腰なんだ。私が何をした!(黙れ)こういう原作があってプレイヤーの分身が存在するゲームって、基本的に(敵キャラとか以外はね)原作キャラはプレイヤーに友好的なのがほとんどだと思うんですが…。さすが遊戯王。常に想像のななめ上を行くぜ!でもまあよく考えれば初対面の人間なら…こんなもん…かなあ…。アカデミアのほうでは十代ヨハンとデュエル以外は二の次な連中としかやってなかったもんで、童実野町住民の対応がものっそい冷たく感じる今日この頃。
エドの夢をもそもそ書いててネタ探しのために二期の後半の話をあれこれ漁っていたんですが…。初見では展開に追いつくのに精いっぱいだったけど、二期後半のエドは深い言葉が多くて改めていろいろ考えさせられた。特に82話の三沢が光の結社に入ろうか入るまいか、っていう話が一番凄い。光の結社に乗り込んだ三沢に、エドが「三沢は本心から強くなりたいわけじゃない。奴の心の底にあるのは誰かに認められたいという下らないエリート意識だけだ」って吐き捨てるんですが…。それって下らないこと、なんでしょうか。エド曰く「真のデュエリストは孤高」で「例え他人に認められなくても己の戦術とデッキを信じ、我が道を行くのみ」で「結果と評価はあとからついてくる」ものらしいんですが。理想だし、彼のいうことはとても格好いいとは思う。でもはたして本心からそう思える人間っているんでしょうか。本当に趣味とか興味半分でやってるならともかく、少しでも本気になって取り組んでいる人間ならそれが何にせよ、どんな種類のものにせよ、誰かに解ってほしい認めてほしいと思うのは当然じゃないのかな。頑張ったのならそれに見合う評価を与えてほしいと思うのは人として当然じゃないだろうか。強くなりたいと思うのは解る。でも強くなりたいと思うのには理由がいると思うんです。ただ強くなりたい、だけだと限界があると思う。何か理由があって、それをばねにするから人は頑張れるんじゃないでしょうか。…とか必死になって言い返してるのは私が凡人でエドの言う「誰かに認められたいだけのくだらない」人間だからかもしれない(笑)ちょっと気になったのでそれについて頭の整理用に書いてみた。
まあ最終的に三沢は開き直り→悟りを得る→裸体で大暴走するわけですが。何にせよ子供向けアニメで持ち上げるべき議題ではない(笑)GXは本当妙なところ大人向けだな…!そこが好きなんですけども。ちびっこたち置いてけぼり、そして私はトラウマ物(笑)
5D's2話見れたよー。しかし…ネオ・ドミノシティに社長はいらっしゃるのでしょうか。KCのロゴのデザイン変わってたし、まさか過労死して社長がモクバに交代!とかなってないだろうな!?いやでもモクバに後退したなら社長の生きた証ともいえる会社の看板たるロゴは変えないか…。となるとまだご存命だとは思うんですが、社長がサテライトの存在を放置しっぱなしっていうのがいまいち納得できないんですよね。社長はモクバ以外にはみんな平等に厳しいし弱者はされ!な人だけど、貧富の差による差別とかは嫌いだと思うんですよ。幼少期は金のせいで振り回されたしね。そこんとこどうなんだろう…社長は黙認?っていうか認めてるのかな、サテライトのこと。
以下ネタばれ2話感想。ためらいなくネタばれしまくってますんでまだ見てない人注意!